衆院解散“クビ”なのに万歳?
小さな違和感が生む国民とのズレ
「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」
紫のふくさから取り出された「解散詔書」を河野洋平衆院議長が読み上げた。その直後、解散と同時に失職する、いわば“クビ”を切られた議場の衆院議員は「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」と一斉に万歳をしていた。
国会は「不思議なこと」「おかしなこと」がよくある。毎度の光景だが、衆院解散時の万歳もその一つ。“クビ”を切られたのに、なぜ「万歳」なのか。私は今回で4回目の衆院解散に立ち会ったが、「万歳」を一度もした経験がない。
「万歳」の理由にはいくつか諸説があるらしい。歴史をさかのぼると、最初の万歳は1897年(明治30年)12月25日。「拍手起こり万歳と叫ぶ者あり」と当時の議事録に残されている。ちなみに当時、解散の詔勅を伝達した議長は、民主党・鳩山由紀夫代表の曽祖父、鳩山和夫議長で、天皇陛下への敬意を表すための「万歳」だという説がある。
次は「士気を鼓舞する」という説。解散によって衆院議員全員が失職するが、総選挙に向けて、戦時中の出征兵の送別になぞらえて「万歳」をするということらしい。
一方、「万歳」しないと落選するというジンクスがある、とも言われている。自分の体験からいえば過去3回のうち、一度落選。確率は3割か。
現状をみると、多くの議員は「慣例だから」という理由で、万歳していると思われる。だが、テレビの映像を見ながら「変なことをしているな」と思っている人も少なくないだろう。
衆院の解散は「議員をクビにすること」のはずだ。もちろん、引退する人以外は次の総選挙は勝ち抜いてこようと決意はしている。だが、いずれの説も「万歳」をする必然性を私は感じない。
小さなことかもしれないが、国民が「なるほど」と実感できないことについて、「慣例」だからと「万歳」をしている“前”議員を国民はどう思うのだろう。
衆院選の投票日まで1ヵ月余り。今、政党・候補者に求められているのは、国民がおかしいと思うこと、また望んでいること、それらを敏感にとらえて政策実現することではないか。
たかが「万歳」かもしれないが、小さな「不思議」「変なこと」から、国民とのズレが始まるのではないだろうか。
(平成21年7月29日付 夕刊フジより転載)