「経済危機」より自分の事 遅すぎた菅退陣の流れ
経済が危ない。それも日本だけでなく世界全体が揺れはじめている。
米国の格付け会社、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げが発表されたのが5日。米国の景気への不安と共に、欧州の財政不安の深刻化が連動し、世界の株式市場で株価が急落した。しかも、日本にとっては円高(というよりドル安)の加速が、輸出産業に打撃を与えている。
本来であれば政府がこの経済危機に対し速やかに対応策を打ち出さなければならないのだが、菅首相は自らの進退に汲々としていて、同時株安に全く関心がないようだ。
そういえば、今年1月のこと。S&Pが日本国債の格付けを「ダブルA」から「ダブルAマイナス」に格下げしたとき、記者からの質問に「いま初めて聞いた。ちょっとそういうことには疎いので、また改めてにさせてほしい」と菅首相は述べた。首相就任の前には財務相を務めていたにもかかわらず、「疎いので」という発言にあきれた国民も多かったはずだ。
今回の株安を3年前のリーマン・ショック以上の金融危機と指摘する人もいる。
当時の日本は福田首相が辞任し、麻生内閣がスタートする時だった。内閣発足と共に衆院解散・総選挙を模索していた自公政権だったが、麻生首相は金融危機を乗り切るために解散を先送り、景気対策優先の政権運営を行った。就任直後に2008年度第1次補正予算を成立させると、09年の年明けに第2次補正予算、09年度本予算を次々と仕上げ、同年6月には09年度1次補正予算と、9カ月で4度の経済対策を打ち続けた。
「漢字が読めない」などと批判されたトップであったが、経済対策についてはしっかりと手を打ち、日本経済はリーマンショックから脱出しつつあった。
麻生首相が解散先送りを決めた時、連立を組んでいた公明党の太田代表(当時)が、2度にわたって会談を行い、解散を促した。だが、麻生首相は頑として首をタテに振らなかった。
麻生首相は就任直後、ワシントンでの金融サミット、リマでのAPEC首脳会議に相次いで出席。各国首相と金融危機について会談を重ねた。「胡錦濤(中国国家主席)は私の言うことにメモをとっていた」「サルコジ(仏大統領)は別れ際に振り返って『日本が頼りだ』と言うんだ」と太田代表に語り、今は選挙よりも経済対策を優先するべきだと主張した。
結果的には解散のタイミングを逸し、(自公からみれば)政権交代という敗北を喫したが、一国の首相は経済に対しても、重い責任を背負っている。
麻生政権の時の衆院の予算委員会で、野党の質問者として立った菅首相は「まさに麻生政権の存在そのものが政治空白ではないですか」と追及した。
ようやく退陣の流れができた菅首相だが、その言葉を首相自身がもっと早く自覚しなければならなかった。
(平成23年8月17日付 「夕刊フジ」より転載)