連載66 政治の世界「努力したけどダメ」は通用しない


 
 
政治の世界「努力したけどダメ」は通用しない
 
 
 
 
 
 
「勝つが強い」の五輪
 
 
  内閣改造が色褪せてしまった。いや吹き飛ばされた感がある。
 
 今月1日に福田内閣が改造され、内閣支持率も新聞社、テレビ局によって微妙に違うが、おおむね上昇した。ところが、「変った」という“期待感”も8日に開幕した北京五輪で、「もう過去のもの」という感じだ。
 
 テレビは朝から夜まで五輪一色。新聞も1面トップは五輪ものだ。
 
 開幕早々、金確実といわれたヤワラちゃんが負けた。「ママでも金」が夢と終わって、多くの国民が落胆した。男女サッカーも厳しい試合結果が続き、男女バレーも黒星スタート。金メダル16個、合計37個とメダルラッシュにわいたアテネ五輪と比べ、「今回は厳しいな」とテレビを見ながら思い始めた大会3日目。柔道男子66キロ級の内柴正人選手が優勝し、2連覇を飾ると、テレビ中継のトーンもガラッと明るくなった。翌日の朝刊各紙も紙面が躍動しているような気がするのは不思議だ。
 
 普段スポーツに関心のない人も含め、この時期になると1億総コメンテーターに変身する。また、日本人選手が登場すると、多くの人が手に力を込め応援する。
 
 五輪ではないが、初めて本大会に出場したサッカーのフランスW杯の予選を見に行ったことがある。国立競技場に多くのサポーターが終結した。
 
 試合前の国家吹奏の時、顔にはペインティング、茶髪の青年たちが「君が代」を必死で歌っていた。そこには自然な感情の発露があった。
 
 前回、インタビューで「超気持ちいいー」と叫んだ北島康介選手。百メートル平泳ぎで世界記録で見事Ⅴ2。今回は涙でインタビューに答えた。これもまた、日本中を熱狂させた。
 
 近代五輪の父、クーベルタンが「参加することに意義がある」と語ったといわれる。もちろん、出場するだけでも大変な五輪。
 
 しかし、北島選手や内柴選手をみると、やはり「勝ってなんぼ」という気もする。「努力をしたけどダメでした」は勝負の世界では通用しない。 内柴選手の新聞記事の中でこんなのがあった。「強いやつが勝つんじゃない。勝ったやつが強いんだ」
 
 政治の世界でも「努力したけどダメでした」は通用しない。そんなことをしたら国民生活は大変になってしまう。すべては結果勝負だ。
 
 衆院の任期満了まであと1年余り。次の解散総選挙も各党勝負となる。どこまで国民に政策を伝えきれるか。有権者から金メダルを送られた(当選した)人が政治を任される。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(平成20年8月13日付 夕刊フジより転載)
 
 

2017年02月20日