連載117 政治家も国民から”指名”を受ける仕事を


 
 
政治家も国民から“指名”受ける仕事を
 
 
―ドラフト会議に思う― 
 
 
 
 「今年は豊作」といわれたプロ野球のドラフト会議。12球団の最初の入札は全て大学生投手だった。
 
 “ハンカチ王子”こと早大・斎藤佑樹投手は4球団が1位指名。抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得した。同じ早大の大石達也投手は斎藤を上回る6球団が競合し、西武が当たりくじを引き当てた。
 
 中大・沢村拓一投手。栃木・佐野日大高時代は無名だったが、大学に入って最速157キロを投げるまでに。“相思相愛”の巨人が単独指名した。会見では涙も見せたが、「100点のドラフト」と喜びをかみしめていた。
 
 米国のプロ・フットボールで始まったドラフト制度。日本のプロ野球は1965年からスタートした。この年指名された選手をみると、巨人の堀内恒夫、太洋・平松政次、近鉄・鈴木啓示など200勝を達成した投手がズラリ。それから45年。数々のドラマが生まれた。
 
 1978年のドラフト会議は「空白の一日」で大騒動となった。巨人入りを希望する江川卓投手がドラフト会議前日に巨人と入団契約。交渉権を得た球団は翌年のドラフト会議の前々日まで交渉ができるとする野球協約を逆手にとった契約だった。巨人はその年のドラフト会議をボイコット。「空白の一日」事件は読売新聞の不買運動が起こるなど社会問題にまで発展した。当時、若者言葉でゴリ押しをすることを「エガワる」といったことを覚えている。巨人ファンだった私も巨人に対する熱がさめていった(その後、毎日新聞に入ってアンチ巨人になったが)。
 
 ドラフト1位指名の選手がすべて活躍しているわけではない。一方、下位で指名されながらも、プロに入って大成する選手もいる。米大リーグで活躍するイチローは1991年、オリックスの4位指名だった。
 
 即戦力を期待して指名する社会人・大学生。将来性に期待する高校生。各球団の
スカウトをはじめ首脳は毎年この時期は頭を悩ましているに違いない。
 
 企業もどれだけ人材を確保できるかが重要な時代。政界も同様だ。国会にはドラフトはないが、国民に選択権がある。昨年の衆院選で158人の新人議員が誕生した。今年の参院選は55人が初当選だ。
 
 プロ野球の世界は結果がすべて。政界も国民が納得できる仕事をしなければ、次の選挙で国民から指名されず、はじき飛ばされてしまう。
 
 
 
(平成22年11月2日付 「夕刊フジ」より転載)


 

2017年02月20日