安心・安全への決意新たに
忘れてはならぬ日航機墜落事故
「『クライマーズ・ハイ』観に行きたいね」。妻がつぶやいた。
「『クライマーズ・ハイ』って?」。
その時は、不覚にもよく分からなかった。
1985年の夏。群馬県御巣鷹山の日航機墜落事故。「クライマーズ・ハイ」は当時、群馬県の地元紙の記者だった横山秀夫氏の原作。記者たちの激動の姿を描いた映画が公開中だ。
私もその年、毎日新聞に入社したての1年生記者。静岡支局で、いわゆるサツ回り(警察担当)をしていた。あの時の状況は23年たった今も忘れられない。
終戦記念日を間近に控えた8月12日。県警本部の記者クラブから支局に戻ったのが夜7時半近くだった。ソファーでNHKのニュースを見ていた支局次長が「日航ジャンボ機が消えた」。私は「ナニ冗談言ってるんですか」と笑いながら次長を見ると、真剣な目つきをしている。
羽田発大阪行の日航123便が静岡上空で消息を絶ったとテレビでは流し続けていた。
「やばい、大変なことになった」と新米記者の私にも緊張が走った。先輩達も次々に支局に戻ってきて戦争状態。「伊豆上空で消えたらしい」「焼津で旋回しているのを見たらしいぞ」。本社との連絡の中で不確定な情報が交錯する。
「レーダーには映ってませんか」。航空自衛隊浜松基地への電話取材で、私は受話器を持って叫んでいた。
それから数時間後、「長野・群馬の方で落ちたらしい」との情報。東京本社はもちろん現地の前橋支局、埼玉の浦和支局から現場が分からないまま、記者が飛び出した。
山を隔てた長野支局も記者が現地に向かったが、群馬側に墜落したため、現場に到着できずに引き上げたという。
翌13日の昼には、生存者が自衛隊ヘリに引き上げられる映像を、県警の記者クラブで他社の記者と共に見つめ続けていた。支局の赴任地によっては、御巣鷹の道なき道を登っていたかもしれない。
結婚した当初は新聞記者の妻だった。昔よく語っていた記者時代の出来事を、妻も忘れず映画に誘ってくれたのかもしれない。
今は記者を辞めて、政治の世界に身を置いている。だが、国民の安心・安全を守るということは、さらに重く肩にのしかかっている。
航空機の安全だけではない。政治は国民の生命を守るのが最も重要な仕事だ。そのことを改めて考えるきっかけに、「クライマーズ・ハイ」を観たいものだ。
(平成20年7月16日付 夕刊フジより転載)