連載7 「なぜ惨劇起こした!?」 裁判終了も回答なく・・・


 

 
「なぜ惨劇起こした!?」 裁判終了も回答なく・・・
 
 
 
 
 
17年前 宮崎事件を記者として取材
 
 26歳の"その男"は43歳になっていた。
 「綾子ちゃん殺し自供」「強制わいせつの印刷業の男 奥多摩山中に捨てる」-。
 
 平成元年8月10日付の毎日新聞夕刊1面トップは、このような衝撃的見出しだった。連続幼女誘拐殺人事件の容疑者逮捕の一報だ。先日、最高裁で死刑が確定した宮崎勤被告は、当時26歳だった。
 
 静岡支局で約5年過ごし、社会部記者としてスタートしたばかりの私は29歳だった。
 
 逮捕発表の日の午前中、宿直明けの私はデスクから声を掛けられた。「八王子署で発表のものがあるから、行ってみてくれ」。
 
 警察署で発表された内容は「八王子市内で小学生の女児姉妹に『写真を撮らせてくれ』と近づき、近くの父親に捕まえられた」といったものだった。
 
 しばらくして、ポケベルが鳴った(当時はまだ携帯電話は普及していない)。電話口の向こうから、「連続幼女誘拐の犯人らしい」とのデスクの押し殺した声が聞こえた。全身に緊張が走った。
 
 辺りを見回すと、他社の記者にも情報が入ったらしく、あわただしくなった。
 
  それから約1週間、"その男"の実家のある五日市町(現あきる野市)に泊まり込みで取材。
 
 先輩記者がどこからか入手した"その男"の中学校の同級生名簿を私に渡した。「これをあたってみて」
 
 秋川が流れ、東京とは思えない自然豊な地だった。街灯も少なく、夜は懐中電灯を持って、数十人の同級生の家を一軒一軒訪ねた。どのような人間だったのかを聞いてまわった。
 
 取材をしながら、「なぜ、こんな悲惨な事件を起こしたんだ?」と問いかけたことを覚えている。
 
 
犯罪防ぐために政治は何をすれば

 あれから17年の月日が流れた。裁判は終わった。だが、「なぜ?」という問いに回答はなかったような気がする。
 
 昨年も、相次いで女児が犠牲になる事件があった。
 
 17年前の4人の被害女児たちは、生きていれば成人している。
 
 犯罪はなくならないかもしれない。しかし、防犯に力を入れるのは当然だが、犯罪を起こさない世の中を目指したい。
 
 そのためには政治が何をしなければならないか。改めて問い直したい。
 
 
 
 
 
 
 

(平成18年1月24日付 夕刊フジより転載)
 
 

2017年02月20日