「戦争の総括」はまだ終わっていない
靖国問題に思う
静寂の中にセミの鳴き声が響いている。それも何種類ものセミの声だ。東京の中心部とは思えない雰囲気だ。
木陰では老婦人が休息をしている。「遺族の方だろうか」と想像している私の隣を若いカップルが通り過ぎる。
毎年、8月15日が近づくと、いわゆる「靖国問題」がクローズアップされる。61回目の終戦記念日が近づいた今月のある日、靖国神社に足を運んだ。
9月の自民党総裁選に出馬しない小泉首相は、首相として最後の「8・15」を迎える。平成13年総裁選の「公約」を果たすため、今年の「8・15」に小泉首相は参拝するのではないかとみられている。
一方、総裁選を前に、候補の1人とみられる麻生外相は先日、靖国神社を特殊法人化して、「国立追悼施設靖国社」(仮称)とする「私案」を発表した。安倍官房長官も4月に靖国参拝をしたとして、マスコミをにぎわしている。
また、昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示されたとする、富田朝彦・元宮内庁長官のメモの存在も明らかになり、今夏もマスコミを中心に「靖国」の論議は騒がしくなっている。
そのような騒がしさとは別に、この日の靖国神社は静けさを保っていた。私は同神社の戦史展示館「遊就館」に足を踏み入れた。
明治15年、軍事博物館としてスタートした遊就館。約7000もの遺影を見ながら思った。
「親父も、もしかしたらここに遺影が掲げられていたかもしれない」。
5年前に亡くなった大正生まれの父は、召集令状で海軍の兵隊となった。幸いにも生きて戻ってきたおかげで今の私が存在するのだが…。
その父が生前、私に語った。「戦争なんてするものじゃない」。
なぜ戦争が起きたのか。いや起こしたのか。様々な見方があるだろう。
日中戦争から太平洋戦争へと続いた一連の戦争を「自衛戦争」との見方をしている「靖国」。私はその考え方に同調できない。
A級戦犯の問題。極東軍事裁判の是非の前に、召集令状で兵隊となって亡くなった人と、その令状を出した指導者が同じように祀られている。違和感があるのは私だけだろうか。戦争の総括はまだこの国ではされていないと痛感した。
麻生私案について―。
「『靖国』が宗教法人を自主的に解散し、その後、特殊法人として『国営化』する」という。しかし、まさに宗教に対して国が関与するという憲法違反の疑いがあるのではないか。
戦前、「神社は宗教にあらず」との国会答弁の下、国家神道がつくりあげられた歴史を忘れてはならない。
(平成18年8月15日付 夕刊フジより転載)