消費税問題 与謝野発言は乱暴だ!
財政の様々なムダにメスを入れることが先決
「(消費税を)1%ずつ上げて選挙負けていたらしょうがない。選挙で負けるんだったら、ドーンと上げなくては」
自民党財政改革研究会の与謝野馨会長が先日、毎日新聞のインタビューで語った。記事を読み、「かなり乱暴な言い方だな」と思った。
先月17日、政府の経済財政諮問会議。社会保障の給付と負担について内閣府が試算を示した。それによると、現在の医療、介護の給付水準を維持した場合、2025年時点で、現在より財政を悪化させいないという前提で、31兆円が必要としている。消費税に換算すると17.25%になる。
年末の税制改正論議を前に、「消費税」という言葉が新聞で目立つようになった。どうも「財政再建」論者が、意図的に消費税率アップを目指して、外堀りを埋めようとしていると感じるのは私だけだろうか。
もちろん、急激に進む少子高齢社会に対応するために、社会保障の充実と、その負担のあり方に結論を出さなければならない。また後の世代に負担を先送りする「借金財政」も建て直さなければならないのは確かだ。
しかし、読者の皆さんはどう思うか。一般家庭や民間企業では、まず無駄を省くことを徹底する。子どもが進学するためにお金が必要になる。そのためにサラリーマンのお父さんの小遣いを削る。“財務大臣”のお母さんはやりくりに頭を使っているはずだ。
今、政府は11年度にプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を目標に歳出削減に取り組んでいる。だが、ムダはまだあるはず。
例えば、政府が発注する様々な契約。競争入札なら随意契約と比べて安価になる。
しかし、国から補助金が流れている独立行政法人では60%が随意契約だ。そういったところにメスを入れなければならない。
参院選で与党が敗北した。敗因の一つとして「『マクロ』でとらえすぎた」と私は思う。
政策を議論し、決定する際、「国は…」とか「社会保障は…」といった大上段の主語が飛びかう。もちろん論理的に議論を詰めていくのだが、そこにはその影響を直接受ける「1人の人」の存在が薄くなっていたのではないか。
「サービスは受けるが、負担はしたくない」。それは無理な話だが、マクロだけで政策決定するのではなく、「負担できない」人のことをしっかり見据えていく。そこにこそ、公明党が連立政権に参加した意味があるはずだ。
(平成19年11月6日付 夕刊フジより転載)