連載65 「低負担・高福祉」はありえず


 
「低負担・高福祉」はありえず
 
 
 
 
 
来年度の予算編成
 
 
 来年度の予算編成に向けての概算要求基準が29日、閣議了解された。
 
 歳出の無制限な増大を抑制するために、各省庁の予算要求に毎年、上限を設けている。
 
 年末にかけて来年度予算案の編成になっていくが、原油高をはじめ、物価が高騰する中、どーんと、景気・経済対策をうちたいものだが…。
 
 しかし現実は「収入」があって「支出」がある。家計や企業会計と同様、国の財政においてもあたり前の話だ。
 
 「収入」は国民の税金。「支出」は国民が受けるサービス。でも「負担はあまりしたくない」というのも、「サービスはもっと受けたい」というのも多くの国民の本音ではないだろうか。
 
 「こんなに税金を負担している」と思っている人は多いと思う。約5000万人が納税している所得税は07年度で総額12.7兆円。
 
 そのうち給与収入1430万円以上の人が2.5%(124万人)で、39.4%(5兆円)を負担。一方、給与収入785万円以下の人は79.9%(3934万人)で23.8%(3兆円)の負担となっている。
 
 また、租税負担率と社会保障負担率を合わせた国民負担率をみてみると、04年の国際比較で、日本は37.0%。欧州先進国の英47.6%、独51.3%、仏61.0%と日本より高い。さらに福祉が充実しているスウェーデンは70.1%になっている。つまり、日本はヨーロッパの国々と比べ、負担は少ないことになる。
 
 
「弱い立場」とはどこで線を引くのか


 「低負担・低福祉」「中負担・中福祉」「高負担・高福祉」。急激に進む少子高齢社会にあって、わが国の針路を明確にしなければならない。「低負担で高福祉」といった話はありえない。
 
 政治は「弱い立場の人」を守るためにあると思う。「普通の人」もしくは「強い人」へのサービスには限りがある。
 
 所得再分配は、持たざる人に対し、持っている人が負担するということ。国民全員が出した分だけ「サービスで返してくれ」となると成立しなくなる。
 
 誰かの負担を和らげれば、誰かの負担は増える。「弱い立場」とはどこで線を引くのか。辛い選択だが、政治の責任でもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(平成20年7月30日付 夕刊フジより転載)
 
 

2017年02月20日