与野党とも蹲踞の精神必要
―横綱不在の政治状況では―
大相撲1月場所は予想通り横綱・白鵬の18回目の優勝で幕を閉じた。
昨年の11月場所。63連勝で稀勢の里に土をつけられ、今場所も同じ相手に敗れたとはいえ、大鵬にならぶ6連覇は見事なものだ。まさに「平成の大横綱」になりつつある。
感心するのはモンゴル出身でありながら大相撲の歴史と伝統を学び、日本人より日本人らしい力士に見えることだ。しかも25歳でありながら、言動に風格さえ漂わせている。これが「横綱の品格」なのか。
「品格」といえば先日出演したBSフジの「プライムニュース」でも話題になった。この番組は2時間生放送で、ゲストにじっくり話を聞くという構成。当日は「菅第2次改造内閣の国会に野党・公明党はどう臨むのか」というテーマだったが、私は民主党政権を厳しく批判していた。
番組も終盤になったころ、コメンテーターの中野晃一・上智大准教授が話し始めた。
「高木さんの菅政権に対する叱責は、大横綱のいた時代は良かったなという郷愁のように聞こえる。確かに横綱のように品格があっていつも勝つのが与党であり、最高責任者の首相であるのが望ましい。自公政権も自民党という随分弱くなった横綱を後ろで公明党が支え、何とか相撲に勝っていた所もあるのではないか」
私も思わず「うーん、なるほど」とうなずく。
―あの程度の首相しか―
さらに中野准教授は「今の政治状況ではしばらく横綱はでてこないのではないか。たとえ出たとしても、かなり上げ底横綱で、弱いし品格もない。その状況下で、どういったルールを作るかだ。現実にあの程度の首相しか出てこないということが、しばらく続くのではないか」
「あの程度」とはなかなか厳しい言葉だが、菅首相に対し多くの国民も同様に感じているのではないか。賛否はあるかもしれないが、「三角大福中」といわれた1970年代から80年代にかけての首相は、それなりの風格があった。それは宰相になるためにさまざまな準備を重ね、自らを鍛えてきたからではないか。
今の時代、品格のない横綱相手にぶつかる野党も、ただ批判だけ繰り返しても何も生まれないのは確かだ。
相撲は古来、神事から始まったといわれる。土俵は神の下りる場所であり、力士の所作もそれぞれ意味がある。その中で立ち会いの前の蹲踞(そんきょ)は相手を敬う意味があるという。
24日から通常国会がスタートした。相手の話を聞く。相手の話に答える。言論の府において、深みと品格ある論戦をするためにも、与野党ともに相手を敬う蹲踞の精神が求められている。
(平成23年1月25日付 「夕刊フジ」より転載)