今こそ政治の劣化を止めるとき
「『真摯(しんし)』という“言葉”が怒っているんじゃないの?」
2閣僚の問責決議案が可決されたテレビニュースを見ながら妻が言った。
問責を受けた前田国交相が記者団に「結果を真摯に受け止め、大臣としての職責を果たしていく」述べたからだ。真摯に受け止めるならば、辞任をするのが筋ではないか。
もう1人の問責大臣、田中防衛相も「いろいろと(野党から)指摘があった。肝に銘じて、防衛相の責任を果たしていきたい」とコメント。野党は大臣として不適格と決議したのだから、辞任しないで「肝に銘じる」ことは矛盾してしまう。
公明党は問責2閣僚が辞めない場合、審議拒否は2閣僚の関係委員会に限定している。このことに自民党の脇参院国対委員長は「邪論としかいいようがない。大いに反省を求めたい」と批判。「邪論」とは乱暴な表現だ。自分たちの思惑通りにならないので、過激な言葉で批判したようだが、国民はどう判断するか。脇氏の言葉の方が“邪論”と思う人が多いのではないだろうか。
これまで何度も「言葉」についてこのコラムで書いてきた。特に政権交代して2年8カ月。鳩山、菅首相の言葉と行動の乖(かい)離はひどかった。それが永田町全体に蔓延してしまったのか。言葉の軽さ、荒れた使い方、不適切な表現・・・。政治家の発する一言一言が国民の政治不信を増幅させている。私自身も政治家の一人として心していかねばならない。
なぜそうなってしまったのか。理由はいろいろあるかもしれない。自らの反省も込めていえば、政治が場当たり的に対応しているからだ。次の選挙に勝つことを意識し、この国をどうしていくのか、理想やビジョンを示せない。自分が中心になっている。そして「何のためと」いうことが希薄になっている気がする。
だが、あえていえば、そんな政治家を選択したのも国民ということを忘れてはならない。国民の選択眼も求められている。今、既存政党に不満を抱く人が増えている。2005年の郵政選挙では「小泉チルドレン」、09年の政権交代選挙は「小沢チルドレン」が生まれた。そして、次は「橋下(大阪市長)チルドレン」が誕生するのか。
国民の判断材料の多くはマスメディアから得ている。視聴率が取れる、面白いといった「劇場型」の報道ばかりが先行すると、政治の漂流は深刻になってくる。ジャーナリズムは事実の報道と共に、多角的な検証が必要だ。表層的ではない国民の判断材料を提供することが、民主主義を守ることになるはずだ。
毎日新聞の先輩でもある政治ジャーナリストの岩見隆夫氏の近著「政治家だけに日本をまかせるな」に「政治家たちは<日本のあす>のために決死の構えで格闘しているか」というくだりがあった。政治家も私心を捨てて、どこまで行動できるか。今こそ政治の劣化をストップさせなければいけない。
05年10月からスタートしたこのコラムも今回をもって終了となります。ご愛読ありがとうございました。
(平成24年4月25日付 「夕刊フジ」より転載)