命を守れない菅政権を倒さねば
―高額医療費の限度額引き下げを―
「金の切れ目が命の切れ目」
何と切ない、何とやりきれない言葉だろう。だが、それは今の社会で起こっている。
先日の衆議院予算委員会。質問に立った私は「高額療養費制度」について、菅首相に問い質した。
「がん」の治療や慢性的な疾患で高額な医療費負担に苦しんでいる人が多くいる。同制度は医療費が高額になった場合一定の金額(自己負担限度額)を払えば済むというもの。
ところが、この制度は所得に応じて自己負担限度額が3段階に分けられている。市町村民税が非課税の低所得者(年収約200万円以下)の限度額が月額3万5400円。上位所得者(年収約790万円以上)は限度額が月額約15万円。その中間の一般所得者はどんなに高額な医療費になっても月額約8万円を払えばオーケーだ。
しかし、この中間の「一般」に問題が潜んでいる。年収200万円の人と年収700万円の人が同じ病気にかかり、毎月8万円を負担し続けるのはどうなのか。この中間層に、もう一段階ラインを引いて、負担軽減を図ったらどうだろう。公明党は具体的に年収300万円以下の方は、限度額を月8万円から半額の4万円にと提案している。
予算委では、慢性骨髄性白血病の治療費負担に苦しむ女性が薬の服用を中断し、自殺に至るのを夫が寸前で防いだ事例を紹介した。その時の夫がつぶやいた言葉。それが「『金の切れ目が命の切れ目』という現実が今でもあるんですね」
2009年4月。高額療養費制度の引き下げの方向性について自公両党で合意していた。ところがその年の秋に政権は民主党に。実は民主党も衆院選マニフェストで高額療養費に関して「患者の負担軽減を図る」と掲げていた。ところが10年度予算にも反映されず、今回の予算案も自己負担限度額の引き下げは見送られた。
限られた財源で優先順位をつけるのが「政治主導」のはずだ。農家の戸別所得補償、高校無償化、子ども手当て、高速料金の無料化と比較しても「命を守る」政策を優先するべきではないか。
「命を落としそうな人、この人を守るのが政治じゃないですか」
私は衆院第1委員会室で叫んだ。「高木委員の今おっしゃった基本的な考え方に私も同感いたします」と菅首相。だが、限度額の引き下げは明言しなかった。
鳩山前首相も昨年の施政方針演説で「命を守りたい」と訴え、「命」という言葉を24回も使った。だが、高額な医療費に苦しむ患者には言葉はいらない。限度額引き下げの事実が必要だ。命を守ることのできない政権は倒さなければいけない。
(平成23年2月8日付 「夕刊フジ」より転載)